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東京地方裁判所 昭和52年(特わ)565号 判決

主文

1  被告人を懲役一年二月および罰金二、五〇〇万円に処する。

2  右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

3  この裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

4  訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都国分寺市において貸金業を営むかたわら、不動産の賃貸や株式及び不動産の売買を行つているものであるが、自己の所得税を免れようと企て、利息収入の一部を除外して仮名預金を設定する等の方法により所得を秘匿したうえ

第一昭和四八年分の実際所得金額が六八、五〇一、三一四円、分離課税による短期譲渡所得金額が一一、二九七、四〇〇円、同長期譲渡所得金額が一二、六二七、三五六円あつたのにかかわらず、昭和四九年三月一四日東京都立川市所在の所轄立川税務署において、同税務署長に対し、同年分の総所得金額が三、七七四、三八六円、分離課税による長期譲渡所得金額が一〇、九九八、〇一五円でありこれに対する所得税額が二、一〇二、五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により同年分の正規の所得税額四九、二六六、一〇〇円と右申告税額との差額四七、一六三、六〇〇円を免れ

第二昭和四九年分の実際総所得金額が八四、四九二、九五四円あつたのにかかわらず、昭和五〇年三月一四日前記立川税務署において、同税務署長に対し、同年分の総所得金額が一一、〇五四、四〇〇円でこれに対する所得税額が二、六二五、九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により同年分の正規の所得税額四八、六二一、二〇〇円と右申告税額との差額四五、九九五、三〇〇円を免れ

第三昭和五〇年分の実際所得金額が七九、三四二、二八八円あつたのにかかわらず、昭和五一年三月一三日前記立川税務署において、同税務署長に対し、同年分の総所得金額が、一三、四〇四、三七八円でこれに対する所得税額が三、二三四、六〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により同年分の正規の所得税額四三、九七〇、四〇〇円と右申告税額との差額四〇、七三五、八〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(被告人の行為は、「偽りその他不正の行為」にあたらず、ほ脱の犯意がないからほ脱犯を構成しないとする弁護人の主張に対する判断)

一仮名預金等の設定について

(一) 弁護人は、所得税法上のほ脱犯は「偽りその他不正の行為により」所得税を免れることを構成要件とするところ、検察官が被告人の「仮名預金」を設定したことを以て、税のほ脱のための不正行為であると主張するが、被告人が「仮名預金」を設定したのでは税をほ脱するためではなく、顧客からの依頼で行なつたものである。町の金融業者より手形割引を受けていることが銀行や取引先に判明すると著しく信用を失墜することになるとして仮名普通預金口座の設定を依頼され、これを承諾したに過ぎず、仮名定期預金も、右の仮名普通預金を後に振り替えたものであつて税のほ脱とは何ら関係がない。

「無記名預金」についても、銀行が預金増強のために三文印を準備し口座を設定してくれたのであつて、被告人はそれに同意したに過ぎず、税のほ脱の意思で設定したものではないと主張する。

(二) 惟うに、金融機関との取引にあたり、業務上その他の理由から税とは関係なく、仮名ないし無記名預金の設定をすることもありうることから、仮名ないし無記名預金の設定行為それ自体を以つて、直ちに偽りその他不正の行為とはいい難いが、しかし、所得を隠ぺいするために設定する場合のように、ほ脱所得税秘匿の手段として利用されるときは、それは偽りその他不正の行為となり得るものと解すべきである。

これを本件についてみるに、被告人所有の仮名、無記名預金の存在については弁護人もこれを認めるところ、被告人は検察官に対しては、仮名預金口座を設定したことにつき「大部分の利息収入を申告していなかつたため、税務署に割引の実態が知れることをおそれて仮名取引を行なつた」と供述しており、また、証拠の標目掲記の収税官吏の被告人に対する各質問てん末書、収税官吏作成の「預金残高および受取利息調査書」によれば、多数の仮名による預金口座が存在し、しかも短期間で右口座名が変更されており、被告人の貸付利息収入の大部分が、これらの仮名預金口座のみならず、無記名預金にも振込まれている事実が認められる。右認定に反する被告人の当公判廷の供述は信用しない。

そうすると、本件仮名ないし無記名預金の設定行為は、専ら、事業収入である貸付利息収入の一部を申告から除外し、これを隠ぺいするために所得秘匿の手段として利用したものと認められ、そのため、申告納税制度のもとにおいて、税務官庁にとつて納税者の所得金額の正確な補捉を困難ならしむるものであるから、右の行為は税を免れる意図をもつてなした所得秘匿行為であるということができる。そこで、右の所得秘匿行為を伴つて、ことさらに実際の所得額より過少である所得額と、これに対応する税額とを記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為は、所得税法二三八条一項の「偽りその他不正の行為」に該当するものと解すべきである(最高裁昭和四八年三月二〇日三小判・刑集二七巻二号一三八頁参照)。

従つて、本件において「偽りその他不正の行為」は存しないとする弁護人の主張は失当である。

なお、弁護人は、被告人の唯一の帳簿ともいうべき「日計表」には仮名預金や裏契約までがすべて記入してあつたから、税務署の任意調査で右帳簿の提出を求められれば、容易に判明することになるので仮名預金の設定は税のほ脱の手段ではないと主張するが、しかしながら、右日計表に基づいて正確に確定申告されたかどうかが問題なのであつて、本件は右日計表によつて計算されていない過少の申告なのであるから、それは、いわゆる「裏帳」の存在と同視すべきものである。

しかして、前掲収税官吏の被告人に対する各質問てん末書、同じく被告人の検察官に対する各供述調書によれば、被告人には納税義務の内容をなす所得の存在についての認識のあることも明らかであり、右「日計表」の存在は、本件過少の申告行為と併せ考えれば、被告人のほ脱の犯意を推認することもできる。

二不動産の譲渡に際し、実際金額と異なる契約書を作成したことについて

(一) 弁護人は、本件不動産の譲渡のうち、昭和四八年七月三一日Nに売却した砂川町の土地建物につき、一六〇万円の除外をしていること、また、昭和四八年九月八日Iに売却した越谷市の土地建物について一〇三万円を圧縮して申告したことにつき、それらは、いずれも買主の都合により、金融機関から資金を借り入れる必要から被告人に申し入れがあり、被告人もこれに応じ、いわれたとおりの契約書を取交わしたにすぎず、特にIの場合には、被告人に何ら相談せず、一方的にその金額を記載した契約書を持込んできたものであつて、これらは被告人において、税のほ脱の意図のもとに仮装隠ぺい行為をなしたものではないと主張する。

(二) しかしながら、収税官吏の被告人に対する質問てん末書によれば、税の負担を免れる意図をもち、N不動産に対する分につき、被告人からN社長に依頼して実際の売買契約より過少な金額で契約書を取交わして譲渡金額を圧縮させたこと、また、Iに売却した分についても同様に、同人と意を通じて虚偽内容の契約書を取交わした事実が認められる。右認定に反する被告人の当公判廷の供述は信用しない。

そうすると、右のような内容虚偽の契約書を利用して所得隠ぺいの手段とした場合には、それは所得秘匿行為というべきである。

しかして、被告人は右により正当な所得ではないことの認識をもちながら、過少の申告をしたものであることは、証拠の標目掲記の収税官吏の被告人に対する各質問てん末書、被告人の検察官に対する各供述調書によつてこれを認めることができるので、右の所得秘匿行為を伴つて、ことさら過少に記載した虚偽の確定申告書を提出する行為は、「偽りその他不正の行為」に当るものと認めることができる。

三譲渡所得の無申告について

(一) 弁護人は、前記Iに譲渡した越谷市の土地建物一〇三万円の除外分と、この他に、昭和四八年一一月一九日Dに売却した瑞穂町の山林二、〇四五万円分にかかる短期分離譲渡所得については、被告人は、いずれも申告期限までに申告しなかつたが、それは単に無申告であつて、何ら仮装隠ぺいの不正行為を行なつてはいないし、税のほ脱の意思のもとに作為を加えたものでもないからほ脱犯を構成しないと主張する。

(二) 確かに、偽りその他不正の行為を伴わない単なる不申告については、単純無申告犯(所得税法二四一条)が成立するにとどまるのであるが、しかしながら、納税者において二種類以上の所得があつて、そのうちの一種類の所得につき隠ぺいの行為をなし正確な所得の申告をしなかつたときは、現行所得税法が総合所得課税方式に基づく納税申告制度を採用しているため、他の種類の所得をも含めた当該年分の所得全体としてみれば、その所得の一部を隠ぺい行為したということになり、全般として真実の所得を申告する意思がなかつたことが推認されるので、それは所得秘匿行為を伴つたことさらに虚偽過少の申告をしたということになり、従つて、それは偽り、その他不正の積極的行為に当り、いわゆる単純無申告の場合とは全く異なるというべきである。

これを本件についてみるに、被告人の昭和四八年分確定申告書によれば、右申告書の用紙の体裁をみると、所得欄につき、事業所得、不動産所得、利子所得、給与所得、雑所得、長期分離譲渡所得及び短期分離譲渡所得等の各欄が設けられ、当該所得があれば、それぞれ記入し、勿論、短期譲渡所得も存すれば、その金額をも当該欄に記入し、そのうえで各金額の合計額も記載するような様式となつていることは明らかである。

ところで本件は、叙上認定のように、事業所得にかかる貸付利息分につき、その収入の一部を除外し、それを隠ぺいするために仮名預金等を設定する等の所得秘匿行為をしているのであり、そのうえ、弁護人において無申告分と主張するもののうち、Iに売却した土地建物についてすら、被告人は買主と意を通じて虚偽内容の契約書を取交わしている事実も認められるのである。

しかして、右I及び前記D(株)にかかる各短期分離譲渡所得分については、収税官吏の被告人に対する質問てん末書、被告人の検察官に対する各供述調書によれば、これらの所得を秘匿して他の所得のみを過少に申告しようとした意思のあることが認められる。

そうすると、本件が、前記事業所得等の所得のみを記載し、右短期分離譲渡所得分を記載しない申告書を税務署長に提出したことは、すなわち短期分離譲渡所得の申告をしなかつた(単純無申告)にとどまるものではなくして、被告人の昭和四八年分の所得全体としてみれば、ことさらに虚偽過少の申告をしたことになり、従つて、既に説示したように「偽りその他不正の行為」に当ることになるのである。

四株の売買取引による所得について

(一) 弁護人は、被告人が株の売買取引による所得につき、年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上の取引をした場合には課税されることになることを知つたのは、本件の強制調査以降であるから、被告人は右の要件を明確に認識して税金を不正の手段をつかつて免れたものではない。すなわち、株の売買による利益を仮名預金等にしたものでもなく、また、昭和五〇年になつて、株式取引の一部につき従業員名義を使用して取引をしたが、それは、税のほ脱のためではなく、昭和四九年、昭和五〇年に株の売買で損失を受けたため、証券会社から、この損害をカバーするために取引口座数を増せば、株の公募株を多く割当るといわれて行なつたにすぎない。従つて、税のほ脱の意思はなく、偽り不正の行為をしていないのでほ脱犯の構成要件には該当しないと主張する。

(二) しかしながら、収税官吏の被告人に対する各質問てん末書及び被告人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は、本件株式売買取引によるほ脱所得とされた昭和四八年分以前の昭和四七年秋頃には、既に株式取引につき、ある一定の取引限度(取引回数、売買回数)を超えれば所得税がかかるということの認識をもつていたこと、それは他人から聞いて知つていた旨供述している事実が認められる。

更に、収税官吏作成の「株式売買損益および残高調査書」によれば、前掲要件をはるかに上回る売買回数と売買金額で取引がなされていたこと、本件取引の殆んどが信用取引による売買であることの態様が認められる。また、収税官吏の被告人に対する質問てん末書によれば、昭和三五、六年頃から株式取引を始めていたこと、従つて、その経験年数がいたつて長期であつたことが認められる。

右認定に反する被告人の当公判廷における供述は信用しない。

右の各事実を併せ考えれば、被告人は、既に昭和四七年当時において、法令の定めた有価証券の売買の取引回数が年間五〇回以上で、その売買株数が合計二〇万株以上ある場合には、税法上その所得に対し課税されるものであることを既に了知していたものと推認することができる。

従つて、株式取引による所得をほ脱する意思を以つて、過少に申告したものと認めることができる。

ところで、右の株式取引による所得は、総合所得の一部として申告しなければならぬ以上、右の所得を除外して他の所得のみを申告した場合には、叙上説示したように、被告人の昭和四八年分の所得全体としてみれば、ことさら虚偽過少の申告をしたことになる。

このことは、弁護人が更に、五、「家賃」についても、単に過少に申告したに過ぎず何らかの不正の手段により税を免れたものではないと主張しているが、これに対しても同様である。すなわち、収税官吏の被告人に対する質問てん末書、被告人の検察官に対する供述調書によれば、右の部分を除外して申告した意思が認められるので、これも、叙上説示したと同様に、総合所得のもとにおける、ことさらに過少の申告をしたものとして「偽りその他不正の行為」と認めることができる。

(事業所得における貸倒損失についての弁護人の主張(昭和五〇年分I繊維工業(株)に対する貸付金の回収不能)に対する判断)

(一) 弁護人は、被告人の貸付先であるI繊維工業(株)が昭和五〇年一二月頃事実上倒産するにいたつたので、貸付金残額六〇〇万円は回収不能となつたところから、右金額は、ほ脱額の計算上減額されるべきである旨主張する。

(二) しかしながら、I繊維工業(株)の代表者Mの証言、被告人の当公判廷における供述(但し後記信用しない部分を除く)、根抵当権設定登記済証、M関係書類、日計表、被告人作成の申述書等を総合すれば、I繊維工業(株)が被告人に対し六〇〇万円に見合う約束手形額面二五〇万円と、三五〇万円の二通を振出し、その後書き替えを繰返し、本事業年度分終期である昭和五〇年一二月三一日を経過した昭和五〇年一月九日にいたつて、なお、手形の書替えによる更新手続がなされていること、この時点においても利息の一部支払がなされていること、昭和五一年一月一〇日現在の日計表には、右の二五〇万円と三五〇万円が貸付金として記帳され管理されていること、右の各手形にはM個人の裏書がなされていること、別途、被告人はMから昭和五一年一月一九日付にて額面一一〇万円の手形を受領していること、当時、I繊維工業(株)に対する貸付に際し、右債務者から極度額を九〇〇万円とする根抵当が設定され、担保不動産が提供されていること、これに対し競売手続もなされず、また、訴訟その他の方法により債務者に対し強固な督促請求手続もなされていないこと、昭和五一年にいたつて若干の金員が返済され、それを日計表に右債権の回収として計上されていること、被告人において右債権の放棄ないし債務の免除の意思を表示していないこと、個人保証をしたMも当公判廷において返済の意思のある旨明確に証言していることの各事実を認めることができる。

右認定に反する被告人の当公判廷における供述は信用しない。

ところで、税法上、債権が貸倒れとして認められるためには、債権の取立が不能となるか、或いは債権の回収の見込みのないことが、当該年分中に客観的に確実となり、かつ、債権者においても、これを取立てる意思のないことを要するものと解すべきである。

これを本件についてみるに、前掲認定事実によれば、債権者たる被告人が貸付先債務者との間において、翌事業年分の昭和五一年一月に至つてもなお金融上の取引をしていること等に鑑みれば、昭和五〇年一二月三一日現在において、債務者に対する貸金の全額を回収できないことが明らかに確実になつたものとはいえないものとおもわれる。

確かに、I繊維工業(株)は、証人Mの証言によれは昭和五〇年一一月頃は事実上休業状態にいたつたことは認められるが、しかし、その段階において、直ちに右債権が取立不能ないし債権の回収の見込みのないことが確実であるとはいえないのみならず、前掲認定事実によれば、債権者たる被告人において、昭和五〇年一二月三一日現在において、なお右債権を取立てる意思のあることが充分認められるのであるから、債権者において債権の放棄、または債務の免除をせず、これを取立てる意思のある限りは、その債権者の資産というを妨げないものと解するのが相当である。

(株の売買による所得は事業所得である旨の弁護人の主張に対する判断)

(一)  弁護人は、被告人のなした株の売買は営業としてなしたものであるから事業所得に該当し、そのため、昭和四九年に生じた一七、五四七、七七九円の損失、五〇年に生じた一四、五七四、五七〇円の損失は、いずれも他の所得と損益通算すべきであると主張する。

すなわち、弁護人は、被告人の行なつた株式売買につき、主観的にみれば、株式取引を始めたいきさつは事業の一貫として株の売買を開始したものであつて、単に、株を買つて財産化しようとしたのではなく、株を売買することによつてその差益を得ることを業としたのである。客観的にみても、(1)有価証券の取引のための施設としては、事務所電話などであるが、これは既設のものを使用し、短波ラジオを購入し朝から夕方迄株の値うごきを調べて売買していること。

(2)資金は貸金業に回していた営業資金を株の売買に当てていたこと、(3)売買を行なつてきた期間は昭和四五・六年ごろから四〜五年間継続してきたこと、(4)被告人はサラリーマンや公務員ではないから他仕事に従事することを禁じられたものでないこと、(5)取引金額等についても、昭和四八年をみると株数は現物取引だけをみても、一八二、五四二株、売付金額六、八七〇万円、四九年で五一三、九二九株、売付金額一億八四〇万円、五〇年で、株数一九八、〇〇〇株、売付金額四、九五〇万円に及んでいること等、このように被告人は自己の危険と計算において営利を目的として反覆継続的に遂行する意思をもつてこれを遂行してきたことが主観的にも客観的にも認められるものであるから、事業所得であることが明らかであると主張する。

(二)  確かに、被告人の当公判廷における供述によると、一応右弁護人の主張にそうかの如き供述もあり、また、収税官吏作成の「株式売買損益および残高調査書」によれば、営利を目的とし、反覆、継続的な取引が行なわれていることは一応認めることはできる。

しかしながら、右の程度を以て株式取引による所得を事業所得であると認めることは直ちにはできないものとおもわれる。

惟うに、株式等の取引行為が所得税法上の事業に該当するか否かは、結局、一般社会通念に照らして決めるほかはないものと解されるが、少なくとも、株式取引が事業といえるためには、事業としての社会的客観性が必要と考えられるところ、それは相当程度安定した収益を得られる可能性がなければならないことに求めるのが相当とおもわれる。

けだし、株式取引、とりわけ信用取引は、短期間における株価の変動を利用して売買差益を稼ぐという投機性の強いものであること、一般社会において、大半の者が長期間のうちに最終的には損失に終つている者の多いことが顕著であることに鑑みれば、法人にあらざる個人が、日常生活をおくるにあたり、他に収入の余地がなく、かつ、その株式取引につき相当程度安定した収益を得るための手段に何らみるべきものもなくして、単に、それを事業として専ら生活の資を得ていると考えることは、それ自体社会通念上なじみ難いものといわざるを得ないからである。

ところで、被告人の当公判廷における供述、収税官吏の被告人に対する質問てん末書、被告人の検察官に対する供述調書、収税官吏作成の株式取引にかかる調査書によれば、被告人は貸金業の届出をなし、それを本業として専ら生活の資を得ていたものであり、被告人自身も検察官や国税局査察官に対し「株の取引はサイドビジネスである」旨自認していること、株の売買による収益も通年によると結果的に利益が出ないとか、全体的には損をしていると認識している旨供述しているこ、と株式取引の態様も、貸金業の傍ら株式取引を報道する短波ラジオや、証券外務員の助言によつて株式取引を行なつていたこと、株式取引のための人的、物的な負担、設備もなく、資金も自己資金の範囲に限られ、必要経費も、殆んど有価証券の売買に直接要した費用のみであること等が認められる。

右の各事実によれば、営利を目的とする反覆性、継続性は一応認められるが、しかしながら、右の事実をもつてしても、とうてい相当程度の安定した収益を得られる可能性があるとはいえないので、本件株式取引は一般社会通念に照らし、いまだ事業としての社会的客観性をもつにいたるものとは認められない。従つて、事業所得として損益通算をすることは許されないといわねばならない。

(韓国出張費を必要経費として控除すべきである旨の弁護人の主張に対する判断)

(一)  弁護人は、被告人がI繊維工業(株)に資金を貸付けるに際しては、共同経営的な考えで資金援助を行なつたものであつて、同社が韓国から商品を仕入れて日本国内で販売するための資金を用立てたのであるから、被告人が韓国へ旅行したのも、貸付金の回収のために、韓国の工場、経営状態を視察する必要があつたからである。そして、その費用として一回に一五万円程を要し、年三回は少なくとも出張していたから、各事業年分とも各四五万円づつ必要経費としての出張費として控除すべきである旨主張する。

(二)  被告人の当公判延における供述によれば、一応右の主張にそうかの如き供述はあるが、しかしながら、証人Mの証言によれば、被告人との共同事業の点は明確に否定しており、貸借関係に過ぎなかつたことが認められる。

ところで、所得税法三七条の事業所得における必要経費とは、当該事業について生じた費用、すなわち業務との関連性が要求されるとともに、かつ、業務の遂行上必要であること、すなわち必要性が要件となるものと解する。しかして、事業遂行のために必要か否かの判断は、単に事業主の主観的判断のみなではなく、通常かつ必要なものとして客観的に必要経費として認識できるものでなければならないものと解すべきである。けだし、個人所得においては、個人事業主は、日常生活において事業による所得の獲得活動のみならず、所得の処分としての消費行為をも行なつているのであるから、事業上の必要経費と、所得の処分たる家事費とを明確に識別する必要があるからである。

これを本件についてみるに、被告人は金融業者であるから、取引先の信用調査をすることは、その業務に関連性のあることは認められるが、しかしながら、被告人も当公判廷で供述しているように、国内の関係で資金援助を依頼されると、平常は、その調査は殆んど書類だけの調査ないし問合せにとどまると述べているところからすれば、共同事業として資金援助をしているのでない限り、その融資先の更に取引先、就中、それが外国に在るような場合に、右外国迄をも一々出向いて調査しなければならないようなことは、前掲被告人の平常の信用調査の方法からみて通常かつ必要の程度を超えたものと認めるのが相当である。

従つて、被告人の主観において、仮に韓国に出張するのは仕事の関係であると考えていたとしても、右の限度を超えていると認められる本件においては、右の支出は、いわゆる所得の処分としての家事費にあたり、従つて、所得税収上の必要経費にあたらないといわなければならず、この点の弁護人の主張も失当である。〈後略〉

(松澤智)

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